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写真と言語と文化。

認知言語学、文化記号論をベースにした写真論を。たまにskateboardのことも。

スケートボードを衰退から救った≪キドニー型プール≫誕生の話。

スケートボードはなぜか10年周期でブームと衰退を繰り返す。衰退を乗り越えるたびに進化し発展するという歴史の中で、一度目の衰退を乗り越えたとき自分たちの言語を持つことができたのである。

 

第一次スケートブームは1960年代に起こり、1965年にはLIFE Magazineの表紙を飾ることで全米の注目を浴びた。

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そのLIFE MagazineのHPには当時のNYでスケートボードに乗っていたHIPなIVY達の写真が掲載されており、今でも確認することができる。

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ただし当時流行した遊び方はスラロームや街中を流す程度であり、それだけでは遊び方が限定的過ぎた。そのため流行は去りスケートボード人口は減少してしまう。 

 

そこで救世主となったのが「プール」だ。1970年代になるとドッグタウンと呼ばれるスケートボード・チームの活躍により第二次スケートブームが到来する。プールの中をスケートボードで滑ることが流行り、スケーターはコーピングを削りリップからエアーで飛び出すようになったのだ。

 

ここで少し立ち止まり考えてみたい。なぜ、プールという泳ぐための施設でスケートボードができたのか? スケーターが滑るプールとは、垂直に立った壁で構成された一般的な箱型ではなく、通称「キドニー型プール」と呼ばれるものだ。そのキドニー型プールと呼ばれるものは、側面と、側面と床の接合部がR(つまりお椀のような形)になっており、スケーターはそのお椀のようなRの中をグルグルと周りながら滑るのだ。

 

では、「R」で構成された「キドニー型」と呼ばれる特徴的なプールはいつどうやって誕生したのだろうか。世界初のキドニー型プールは1948年カリフォルニア州ソノマ郡のドネル家の邸宅につくられた。(雑誌「House Beautiful」表紙)

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建築家トーマス・ドリバー・チャーチと施主は、抽象芸術の要素と曲線により構成されたオーガニック(有機的)なデザインを取り入れ、世界初のキドニー型プールを作り上げた。(スケーターにしかわからないが、コーピングを見てほしい。驚くべきことにいまのものとまったく同じなのである。あのコーピングは誕生してから60年以上経ってもまだスケーターを魅了し続けているのだ。)

【キドニーシェイプというのは、インゲン豆とかひょうたんのようなかたちで、50年代のデザインでは、このような有機的なパターンがはやり、プールまでそんなかたちのものがはやったのである。※1】

【50年代のデザインの特徴はフラーによって先駆的に試みられていたオーガニックな形態である。※2】

 

楕円を組み合わせたような、曲線を多用した柔らかくオーガニックな形態は、その柔らかな印象からカリフォルニアの陽ざしにマッチしまさにカリフォルニア文化を代表するデザインになった。このキドニー型プールはスケートボードの世界だけでなくデザイン史から見ても重要な作品であり、2013年に国立新美術館で開催された[カリフォルニア・デザイン-モダンリヴィングの起源-]でもこの世界初のキドニー型プールはカリフォルニアを象徴する重要な作品として取り上げられていた。

 

有機的パターンという特徴を持つこのキドニー型プールは、なぜ「カリフォルニア」の地でデザインされたのだろうか。そこにはカリフォルニア特有の温暖な気候とカリフォルニア・モダンと呼ばれる思想が関係してくるのだが、先述した展覧会の図録によれば次のように記されている。

【ヨーロッパのモダニストたちが思い描いたユートピア的な夢(少なくとも屋内外での生活を健全かつ自由に楽しむことができるという夢)がカリフォルニアで最も完全なかたちで実現されたのだとすれば、そこには温暖な気候というのが一つのシンプルな理由に加え、数多の複雑な理由が存在していると思われる。ヨーロッパでは壮健な北ヨーロッパ人でさえ実現しえなかったオープンエアの生活が、カリフォルニアではほぼ完全に実現していた※3】

【カリフォルニアの気候と文化は、モダニズムが根を下し開花するために理想的な環境を提供したが、カリフォルニアではモダニズム自体も独自のかたちで発展した。ヨーロッパのモダニズムと同じく、カリフォルニアのモダニズムも機能主義的であり、反装飾であり、デザインと技術が社会を変えうるという信念においてユートピア的だった。しかし、カリフォルニアのモダニズム実践者たちは、カリフォルニアにふさわしいモダニズムのあり方というものを追及していた。※4】

 

つまり、モダニズム発祥の地であるヨーロッパでは実現できなかった夢を、カリフォルニアという温暖で開放的な風土と、カリフォルニア・ルックと呼ばれる実験的なことを好み新しいものを受け入れる気質から生まれた文化が見事に融合し、その結果カリフォルニア・モダンを実現させたのだ。

 

また、このキドニー型プールがデザインされた1940年代後半から1960年代初期は「土地に根差したカリフォルニアらしいデザイン」が形成されるだけでなく、宇宙開発のための技術が進歩していった時期とも重なった。スペース・エイジと呼ばれた1950年代、カリフォルニアを代表するこの有機的なパターンは「宇宙」や「ロケット」などの「重力からの解放」を感じさせる浮遊感のあるデザインへと応用され人々の想像力を掻き立てた。例えばその当時のブルーノートのジャケット・デザインひとつとっても、このような「重力からの解放」をイメージさせる有機的なパターンの影響が見て取れる。

写真(左:LOU DONALDSON 右:KENNY DREW TRIO)

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カリフォルニア・モダンという言葉に代表されるカリフォルニア文化が花開いた時代は、大きく二つに分けられる。前期は1930年から1965年までの温暖な気候に合わせた柔らかなデザインと、「重力からの解放」や流線形デザインなどが好まれた時代である。後期は1966年から1980年までを指す。カリフォルニアは1960年代の黒人解放運動やベトナム戦争に突入するまでの間、アメリカ経済の中でもニューヨークに次ぐ中核をなす都市であり、同時に新しいデザイン、文化を牽引する地でもあった。アメリカ国民が憧れを抱く対象として、「カリフォルニア生まれ」であることの意義はとても大きく、「カリフォルニア生まれ」のものを所有することはステータスであった。このことは1984年にキャラ・グリーンバーグによって書かれた『ミッド・センチュリー――50年代の家具』からも確認することができる。

【ロサンゼルスは、”フィフティーズ”そのものといっていい都市だ。50年代の典型といえるアンジェルノ(ロサンジェルスっ子)は、伝説によるとロケット・フィン(尾びれ)をつけたツートーンのチェビーに乗込み、未来風の突出した屋根とちらちらするネオンライトのドライヴィン、コーヒーショップのある辺りを流してまわり、あきると、キドニー型のプールに飛び込むのである。※5】

 

「カリフォルニアに住むことは天国に住むことと同じ」と謳われ、また作家ウォレス・ステグナーは「西海岸に独自の文化はあるのか?」の問いに対し、「(カリフォルニアは)アメリカそのものであり、アメリカ以上にアメリカである」とまで答えている。1962年にカリフォルニアは全米一人口の多い州になり、数年後には世界規模の経済圏になるほど成長していた。このまま成長を続けていくかのようにみえたが、ヴェトナム戦争への突入と公民権運動という全米を巻き込んだ出来事、そして1965年のワッツ暴動という大きな混乱によりその成長に歯止めがかかる。

 

これらはひとつの時代を変えるほどの大きなきっかけを招いたのだが、個人の表現の自由を最優先するカウンターカルチャーと呼ばれる文化が兆しを見せ始めるきっかけにもなった。

 

次回、<キドニー型プールで滑りだしたスケートボードが手に入れたもの>へ続く

 

※1※2 ミッドセンチュリーモダン・デザインのカリフォルニア・シフト 美術手帖2001年8月号 海野弘

※3※4 カリフォルニア・デザイン1930-1965-モダンリヴィングの起源 図録

※5 ミッド・センチュリー ――50年代の家具 キャラ・グリーンバーグ